普通の人々にとっての「コンピュータ」とは
今日、いつものようにブログを巡回していたら、気になる記事を2つ見つけました。1つは、iPadの登場でネットブックの成長率に陰りが見えてきたという記事、もう1つは、EMCの副社長、Chuck Hollis氏がブログに書いたもので、自宅用にiPadを購入したら家族がPCを使わなくなったという記事です。Chuck Hollis氏は踏み込んで、「今度デスクトップやラップトップを購入するとは思えない」とも書いています。
古くからのMacユーザーであれば、Macが登場した頃、「The Computer for the Rest of Us」(普通の人々のためのコンピュータ)というキャッチコピーが使われたことを覚えているでしょう。当時はPCの黎明期で、PCをコマンドで操作しなければならない時代でした。しかし、新しく登場したMacはマウスやGUIの概念を導入し、従来のPCのイメージを変革します。それ以来今日に至るまで、PCの操作法自体大きく変化していないことは、改めて指摘するまでもありません。
1980年代と比較して、今日のPCの性能はハードウェア的にもソフトウェア的にも飛躍的に向上し、PCであらゆることができるようになっています。しかし、一方でそれは、PCに複雑さの増大をもたらし、「the Rest of Us」(普通の人々)がPCをフルに使いこなせないようになっていました。iPadはまさにそんなタイミングで登場してきたわけです。
iPadはまだできることが限られているため、当面はネット接続用のセカンドマシンとして登場したネットブックの市場と、ラップトップ市場の一部を侵食するにとどまるものと思われます。今後さらにOSとハードウェアの性能が向上した段階でも、iPadがPC市場を完全に置き換えてしまうことはないでしょう。
しかし、PCをコンテンツ消費端末の目的で購入していた人々にとっては、ファイルシステムの内部を自由に探索できず、余分な複雑さのそぎ落とされた(というよりは、ブラックボックス化されている)「不自由な」iPadが、逆に魅力的な選択肢となります。Appleは、指という人間にとってより自然なインタフェースを使うことで、「The Computer for the Rest of Us」を再定義したのです。
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